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私は3歳の頃に徳島県県木沢村沢谷の山の中腹で両親と数か月テント生活をしたそうです。父が木材の山仕事のために実家のあった高知県馬路村から出稼ぎに来たからです。
その出稼ぎの出発の日が迫ると3歳の私がどうしても一緒に行きたいというので、1歳の妹を祖父母に預けて親子三人で木沢村の山奥で暮らすことになりました。そこには5人ほどの作業員が山小屋で同じ仕事をしており、生活物資は山の麓からワイヤーロープの滑車で送られて来たそうです。
ところが数か月しても雇われ主から給料が支払われません。飯炊き係の母は私を連れて山を下りると決断して、麓にある親戚の家に帰る旅費を借りに行きました。しかしその親戚も生活が苦しいとお金は貸してもらえず母は失意してまた山に戻りました。
その道中麓のバス停の傍にあった店屋でお菓子を見つけた私が欲しいとただをこねたとのこと。往路は帰る時に買ってあげると母はやり過ごしたものの、結局お金が借りれなかったために復路の店でお菓子を買ってと泣き叫び地団駄を踏む私の手を引いてゴメンねゴメンねと母も涙ながらに山道を登って帰ったとのことです。
昨日ルーツの旅でその木沢村沢谷のバス停の看板を見つけました。建物もなく寥々とした山のすり鉢の底にその看板はポツンとありました。
あれから62年もの歳月が流れ私はまた同じ地に立ったのです。
振り返ってみたら私の人生は激動と言えるほどの人生ではありませんでした。が、しかしそれは激動と言うか壮絶な時期を乗り越えた両親のおかげに成り立ったものだと改めて思いました。
この山の稜線も渓谷の岩も当時から何ら変わってはいないでしょう。私は母に手を引かれて泣きながら見た景色はどこだったのだろうか、としばし記憶の糸口を探し見ましたがなんの欠片も見つけることはできませんでした。