私の中学時代は、放課後になると「分銅ジャクリ」で友人と鮎を掛けてその大きさを競っていた。
数ではなく大きさだ。
とにかく鮎は多かった。
しゃくろう(掛ける)と思えば小型鮎はいくらでもしゃくれる。
箱眼鏡で大きな鮎を見つけてはしゃくって友人と比べ合っていた。
それは夕食のおかずにもなる。
私が鮎を獲って帰るとオヤジはいつも腹だけ取り出して小瓶に詰めていた。
鮎の腹ワタの塩からウルカである。
オヤジはそれでコップ酒をやるのが常だった。
オヤジがあんまりうまそうに食べるのでどんなものかと一度口にしてみた。
が、中学生の自分には食べ物としては全く受け付けなかった。
とにかくおやじの味付けは塩がききすぎて辛いのだ。
酒は全国一辛口と言われる土佐鶴である。
この酒を中学を上がる頃から私も友人らとの隠れてキャンプなどで飲んだ。
舌を刺すような刺激が今も忘れられない。
これが焼きたての淡泊でホロホロした白身の安田川鮎と絶妙に合う。

16、7歳と言うと血気盛んな年頃だ。
原付のバイクに女子を乗せて十数人で安田川の最上流部にキャンプに出かける。
バーベキューで酒を飲んで酔っ払うと男子は女子を残して夜突きにでる。
懐中電灯を片手に水中メガネで覗くと大きな鮎がじーっとして動かない。
鮎の寝ている状態だ。
大きなウナギがニョロリと出てギョッと驚くこともあった。
それを「カナツキ」と呼ぶヤスで突く。
あれっ? と誰かが顔を上げた。
見ると、暗い川面に白いものが点々と流れてくる。
鮎だ。
拾うと全部死んでいた。
「毒やー」
誰かが叫ぶ。
私たちは川から上がると急いで女子のところに戻った。
訊くと、半時間ぐらい前に一台車が上流側に行ったらしい。
こんな山奥でこんな時間に車が通るなんて、と女子たちは怖かったそうだ。
「そいつやな」
体の一番大きな真治がこぶしを握る。
「やるか」
もうこっちはみんな酒が入って出来上がっている。
「待ち伏せするぞ」
と男子はそこいらの木の棒を持って集まった。
道に駆け上がろうとしたら上手から車の音がする。
私たちも一気に道に駆け上がった。
舗装のしていないでこぼこ道の砂利が爆ぜる。
「あぶなっ」
猛スピードの車は私たちをあざけるように土煙を上げて走り去っていった。
犯人に違いない。
後日、高知新聞に安田川で大量の鮎が流れ死んだ記事が掲載されていた。
犯人が逮捕されたかどうかは記憶にない。

毒というのはいろいろあるが、よく使われるのは洗剤のママレモンだ。
川が小さいので、ママレモンのキングサイズを5個ぐらい流したら鮎はほとんどプカプカ浮いて流れてくる。
私は実際に先輩がやったのを見たことがあった。
逆らうと平手打ちを食らうので黙っていたが、今から思うと子供のいたずらにしては度が過ぎていたと思う。
ママレモンの無い時代には渋柿をつぶして流すと同じようなことになるとも聞いた。
私はその頃はまだ友釣りには興味は無かった。
友釣りは分銅ジャクリが体力的に無理な年寄りのやる釣りだと思っていた。
クラスで一人だけ友釣りをしているやつがいたが変わったやつだなと思うほどだった。
そいつが友釣りのおもしろさをコンコンと説くが私にはよくわからなかった。
女子の前で酒を飲んで冗談ばかり言うチャラ男全盛期の自分には、「おまえも友釣りをやらないか」と言うそいつの誘いは馬の耳に念仏だった。
社会に出て結婚をして子供二人ができた。
30を過ぎるまで友釣りに一切目が向くことはなかった。
その夏、高知の馬路村に帰省をして安田川の温泉前で子供らを水浴びさせていた。
ら、祖父から「小便してくるきに、ちょっくとこの竿持っちょってくれんか」
と鮎竿を持たされた。
そう、私のきっかけはいつも些細にやってくる。
それから幾星霜、私の鮎釣り病は未だに悪化し続けているのである。


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